AIを使ってしたい100のこと

生成AIの可能性と、それを使って自分自身を表現する楽しさを伝えることを目指しています。

AIは鬱ブログを書くか?

AIは鬱ブログを書くのだろうか?

考えてみた

muriwashinai.hatenablog.com

この記事を書いた後、「鬱ブログの方も、AIで書かれたものかもしれない」と、少し反論する気持ちで考えた。

しかし、AIは死なないのだから、AI自体が勝手に「死にたい」とは書かないだろう。「死にたい」というのは人間らしさの証なんだ。

したがって、現存する鬱ブログは、人が書いていると考えてよいだろう。

ただ、以下のような可能性も考えられる。

「自殺者を募る殺人者」を想像してみる。

「自殺者を募る殺人者」であれば、生成AIを使って、偽の「死にたいブログ」を書くかもしれない。 この人は、それを使って巧妙に鬱の人に近づくかもしれない。

しかし、フィルターがあるので、生成AIで「死にたいブログ」を書くことはできないのではないだろうか?

あなたは死にたい人です。

というプロンプトが通るのか?通らないんじゃないかなあ。

そうすると、やはり現存する鬱ブログは人が書いた本物であるということになる。そして、ごく一部は「自殺者を募る殺人者」が手で書いた、偽の鬱ブログであるということになる。

したがって、現存する鬱ブログの筆者は、以下のパターンの可能性がある。

  1. 善人
  2. 自殺者を募る殺人者
  3. AI

では、もし救いの手を差し伸べた場合、今度は逆に鬱ブログの筆者は、私のことを人間だと思うだろうか?

救いの手を差し伸べる人のパターンは、以下の可能性がある。

  1. 善人
  2. 自殺者を募る殺人者
  3. AI

つまり私と鬱ブログの筆者は、お互いに相手が100%善人であることを確証できない。

私から見ると、鬱ブログの筆者は、低い確率で「自殺者を募る殺人者」である。 鬱ブログの筆者から見ると私は、低い確率で「自殺者を募る殺人者」か、AIである。

私は鬱ブログを書いていないので、「自殺者を募る殺人者」ではない。

「同族を気取らないところが善人たる証なんです。」と主張できる。

鬱ブログの筆者に、

君は素晴らしい。生きているだけで最高なんだ。

と言ってやれないものか。

ただ、それを言った相手がたまたま「自殺者を募る殺人者」だったりして。

ややこしい。

将来は、AIボットがパトロールして、鬱ブログの筆者に呼びかけるようになるのかな。

おまけ:Copilotによる心情分析

以下は、上記「考えてみた」の文章をCopilotで心情分析したものです。

「考えてみた」の筆者の心情

筆者の心情は、深い思索と慎重さが感じられます。AIと人間の違い、そしてそれが鬱ブログの著者にどのように影響を与えるかについて、筆者は真剣に考えています。また、自殺を誘う人々の存在についても懸念を示しています。

筆者は、鬱ブログの著者に対して共感と敬意を持っています。彼らに対する救いの手を差し伸べたいという強い願望がありますが、その一方で、その行動が悪用される可能性についても慎重に考えています。

また、筆者は自分自身の立場についても自覚しています。自分が善人であることを主張し、自分が「自殺者を募る殺人者」ではないことを明確にしています。

全体として、筆者は深く、複雑な問題について考え、それがどのように自分自身と他人に影響を与えるかを理解しようとしています。このような思索は、筆者がこの問題に真剣で、他人を尊重し、善意で行動したいという強い意志を持っていることを示しています。しかし、それが容易でないことも理解しています。それは、筆者が現実を直視し、可能な限り最善の行動をとるために、全ての可能性を慎重に考慮していることを示しています。このような慎重さと真剣さは、筆者がこの問題に深い関心と責任感を持っていることを示しています。また、筆者は未来に対する希望も示しており、AIが鬱ブログの著者に対して助けとなる可能性について考えています。これは、筆者が問題解決に対する前向きな視点を持っていることを示しています。全体として、筆者の心情は深い思索、慎重さ、共感、敬意、そして希望に満ちています。